「義父の罪、花嫁の瞳」(実話に基づく)

その夜、初めて顔を合わせた息子の婚約者・美咲さんは、非の打ち所がない女性だった。

清楚なネイビーのワンピースに、控えめな真珠のピアス。義父母となる私たちへの挨拶は淀みなく、手土産の選びかたまで完璧。息子の大介が「最高のパートナーを見つけた」と鼻を高くするのもうなずける。

だが、彼女が席を外した瞬間、私の手は小刻みに震え出した。

一年前、私は仕事のストレスから逃げるように、一度だけ「パパ活」のアプリに手を出した。そこで出会った、偽名で「サオリ」と名乗っていたあの女。

ホテルのラウンジで、高いシャンパンを無邪気にねだり、私のネクタイを指先でなぞった、あの扇情的な瞳。

今、目の前で「お父様、お口に合いますか?」と微笑む美咲さんの瞳は、紛れもなくあの時の「サオリ」のものだった。

それから一ヶ月、私の夜から「眠り」という概念が消えた。

目を閉じれば、真っ白なウェディングドレスを着た彼女が、大介の隣で私の耳元に囁く声が聞こえる。

「おじさま、あの時のこと、忘れてくれた?」

皮肉なことに、結婚準備は驚くほど順調に進んでいる。

美咲さんは私の妻ともすっかり打ち解け、週末ごとに我が家へやってきては、かいがいしく台所に立つ。彼女の作る味噌汁の匂いが、私には腐敗臭のように感じられた。

「父さん、顔色が悪いよ。無理しないで」

大介が心配そうに肩を叩く。その無垢な優しさが、今の私には一番の毒だ。

美咲さんは、私の視線を決して避けない。

それどころか、二人きりになった一瞬、彼女は私にだけ見える角度で、あの時と同じ、小悪魔のような笑みを浮かべたのだ。

彼女は気づいている。私が気づいていることに。そして、私がこの事実を誰にも、愛する息子にさえも言えないことに、確信を持っている。

「お父様、披露宴の最後には、ぜひ感動的なスピーチをお願いしますね」

完璧な微笑みを湛えた彼女が、私のグラスに冷えたワインを注ぐ。

その液体は、まるでこれから始まる地獄への招待状のように、真っ赤に輝いていた。

第二章:静寂の檻

私は「沈黙」を選んだ。

それが唯一、息子の大介の幸福を守り、同時に私の社会的死を回避する道だからだ。私が口を開けば、大介の婚約は破談になり、私の家庭は崩壊し、会社での地位も失うだろう。美咲さんはそれを分かっていて、私の沈黙に賭けている。

結婚式当日の朝、私は鏡の前で何度もネクタイを締め直した。一年前、彼女が指先でなぞったあのネクタイと同じ色のものを。

「お父さん、今日は本当にありがとう」

控室に現れた大介は、見違えるほど立派なタキシード姿だった。その真っ直ぐな瞳を見るたび、私の胸の奥で鋭いナイフが動く。私は、息子の人生に「猛毒」が混入するのを黙って見届ける共犯者になったのだ。

披露宴は、滞りなく進んだ。

キャンドルサービスの最中、美咲さんが私のテーブルにやってきた。拍手と歓声の中で、彼女は私の耳元へ顔を寄せ、感謝の言葉を述べるふりをして、吐息混じりに囁いた。

「お義父さま。……一生、秘密ですよ」

その声は、祝福の音楽にかき消され、誰の耳にも届かなかった。

私は震える手でグラスを握り、無理やり口角を上げた。隣で妻が感動の涙を拭っている。私はその肩を抱きながら、心の底で自分自身に呪いをかけた。

新生活が始まっても、地獄は終わらなかった。

大介が「美咲が妊娠した」と報告に来た夜、私はついに睡眠薬なしでは一分も眠れなくなった。

彼女は相変わらず「完璧な妻」であり、「完璧な嫁」だった。

お盆の帰省時、彼女は私と二人きりになる機会を巧みに作る。彼女は決して私を脅さない。ただ、私のグラスに冷たい麦茶を注ぎ、「お父様、最近お疲れのようですね」と、慈しむような、それでいて全てを支配するような瞳で私を見つめるだけだ。

それは、肉体的な関係よりもずっと濃密で、逃れられない絆だった。

私と彼女は、大介という光の裏側で、ドロドロとした暗闇を共有している。この秘密がある限り、私は彼女に一生逆らえない。彼女がどれほど高価なものを欲しがろうと、どんなわがままを言おうと、私は「優しい義父」として応え続けるしかない。

夜、暗い寝室で天井を見つめる。

隣で寝息を立てる妻には一生言えない。

大介を抱くその腕が、かつて私の背中に回された腕だということも。

これから生まれてくる孫の顔を見るたびに、私はあの一夜の記憶を反芻し、己の罪を噛み締め続けることになるのだ。

窓の外では、風が木々を揺らしている。

その音さえも、彼女の嘲笑のように聞こえた。

私はこれからも、幸せそうな家族の肖像画の中で、たった一人、声なき悲鳴を上げながら生きていく。

この沈黙こそが、私が自分自身に科した、終わりのない刑罰なのだ。

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